関ヶ原の戦い
2022/09/15
関ヶ原の戦い
天下分け目の戦いと後世にも語り継がれている「関ヶ原の戦い」。慶弔5年の今日、9月15日に岐阜県不破郡関ヶ原を舞台に行われたことを記念して観光協会が記念日として制定しています。が、これは旧暦の話で、新暦にすると10月21日になるんですよね・・・。
とはいえ、日本人なら誰でも聞いたことがある関ヶ原の戦い。大人になってから説明出来る人はそう多くはないのではないでしょうか?
まず大将は西軍85000人を引き連れた石田三成。東軍88000人を引き連れたのは徳川家康です。勢力は拮抗していますがなんと1日で東軍が勝利してしまいます。
この戦の発端となったのは豊臣秀吉の死であり、彼の死後、息子がまだ小さかったため石田三成を中心とした「五奉行」と、徳川家康を中心とした「五大老」という2つのグループで政治を支えていたのですが徳川家康が天下をとるために動き出し、結果この戦となってしまいました。
兵力が拮抗していたにも関わらず1日で勝敗がついてしまったのには西軍内での裏切りや、戦が得意な家康に対し、政治が得意だった三成。など理由は一つではないそうです。戦が得意な家康と政治が得意だった三成が当初のまま手を組んでいたら豊臣家の時代が長く続いたのかもしれません。
今は戦国時代ほど過酷な時代ではありませんが、人望や時の運を味方につけて生きていきたいものですね。